イギリスで人気のホメオパシーサイト「Homeopathy Heals Me!」にとらこ先生のインタビュー記事が掲載されました

ホメオパシー: 日本の由井寅子氏による素晴らしい功績!

By ルイーズ・マクリーン

由井寅子博士は、熱意ある気鋭な人物!

※このインタビューはインターネットTV回線を通じて、中継で、ロンドンのRAH英国本校と、池尻大橋のCHhom東京校(当時)を結び行われました。

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http://www.homeopathyheals.me.uk/site/front-page/111-frontpage/3962-homeopathy-the-phenomenal-work-of-torako-yui-in-japan

(以下 RAH英国本校スタッフが翻訳した記事の日本語訳を紹介します)

ホメオパシー: 日本の由井寅子氏による素晴らしい功績!

By ルイーズ・マクリーン

由井寅子博士は、熱意ある気鋭な人物!

この20年間で彼女が成し遂げた事は、全く奇跡です。この女性は、援助なしで日本にホメオパシーをもたらせたという貢献者です!2000年代初期、日本では、ホメオパシーが殆ど知られていなかったというスタート点から始まり、彼女は、今まで600名のホメオパス、100名のアニマルホメオパスがホメオパシー療法を行なう300の日本ホメオパシーセンターの設立の手助けをしてきました。彼女の尽力のお陰で、現在、日本では、少なくとも20万人がホメオパシーを使っていると推定されています。

由井博士がロンドンに住んでいた1990年代、彼女は重症を患っていましたが、ホメオパシー医学で迅速に治癒されました。「私が33歳の時、潰瘍性大腸炎をわずらい、それから3年間、腸壁からの血液が便に混ざる為、下血がありました。」

「2年間、ステロイドを含む多種の治療を受けましたが、潰瘍は広がり、多量の出血が始まりました。私は、‘似たものが似たものを’治す療法について教えてくれる夢を見まして、それがホメオパシーであった事を発見しました。」

彼女は、ホメオパシーに対して大変感銘を受け、カレッジ・オブ・プラクティカルホメオパシーでホメオパシーを学び、その後、1995年、英国ホメオパシー医学協会(HMA)の会員になりました。後に、ファロック・マスター、クリストファー・デイ、ヌーラ・アイシング、Hpathy.comのマニッシュ・バティアの様に、ホメオパシーの他の指導的影響力を持つ人物と並び、HMAの名誉会員になります。

彼女は、1997年、日本初のホメオパシーの学校、ロイヤル・アカデミー・オブ・ホメオパシー(RAH)を創立。800名の卒業生を輩出しています。翌年は、日本初のホメオパス職業団体、日本ホメオパシー医学協会(JPHMA)を設立し、現在、約600名の認定ホメオパスがいます。

1998年、日本の国会議員会館でホメオパシーについて講義する為に招待され、日本政府は、統合医療プロジェクトで、ホメオパシーを正式に認可する資格の必要性について調査する事を承認しています。このプロジェクトに対し、2010年、由井博士は、「ホメオパシーの将来の為の推奨と説明」と題した270ページに及ぶ報告をホメオパシー支持者から集まった1万通の署名と共に厚生労働省へ提出しました。

彼女はまた、2001年、スイスの国際医学大学でホメオパシーの博士号を取得しました。

2010年、自ら日本語版を監修したパラケルススの『医師の迷宮』に触発され、ホメオパシー、臓器療法、フラワー療法、ティシューソルトを統合し、医学占星術、ハーブ、東洋医学を含む、より統合的なアプローチを実践するカレッジ・オブ・ホリスティック・ホメオパシー(CHhomシーエイチホム)を開校。彼女は、1997年に設立された日本ホメオパシーセンターをはじめ多くのホメオパシーセンターを設立し、同時にホメオパシーを愛する一般の人々のための会であるホメオパシー・とらのこ会を設立し、会員にホメオパシー治療を提供してきました。

更に、彼女は、ハーネマンの『慢性病論第二版』、『医術のオルガノン第六版』を古典ドイツ語原書から正確に訳させたものを忠実に読み、理解し、複雑な現代病にも適応できるハーネマンの教えをベースにした現代人にも合うZENメソッドを確立しました。また、約30冊のホメオパシー関連の書籍を執筆したり、約100冊のホメオパシー書籍を日本語に翻訳や監訳をしています。彼女が成し遂げた功績は、ただ素晴らしく、彼女自身が言うように、彼女は何年もの間、休みなくホメオパシーに捧げ、一年365日従事しました!

由井博士は、ZENメソッドとして知られている、彼女自身の処方メソッドを発展させました。これは、三次元的アプローチであると由井博士は言います。彼女は、特に、癌を含む慢性症状をホメオパシー治療しており、自閉症においては大変高いレベルで成功しています。彼女は、自閉症は、予防接種の副作用、現代医療、食品添加物、環境汚染からの原因が多いと考えており、2010年、ナラヤナ出版が、ドイツ、バーデンヴァイラーで主催した第二回子供のホメオパシーコングレスで、この主題において発表しました。

由井博士は、たとえクライアントの病気がレメディーで治ったとしても、考え方が頑なに変わらなければ、また、同じ病気が戻ってくるという体験の下、レメディーだけでなく、自己の「インナーチャイルド癒し」(抑圧した感情の解放と価値観の解放)に取り組む必要があると考えており、インナーチャイルド・セラピストコースを開始しています。

彼女の最近成功した迅速な治癒ケースの一つは、余命3ヶ月の末期がんの患者で、弱音を吐けない強い性格の人が本音で大泣きし、やっと親に甘え、介護してもらえることになり、それが、信じられないほど短い期間で改善する助けとなったというものです!レメディーとインナーチャイルド癒しの両方をやることで、3ヶ月で癌の痛みも減り、心も軽やかに生きる喜びを感じられるようになったのです。

由井博士は、日本だけでなく、インド、アメリカ、ドバイ、オランダ、ベルギー、ドイツ、ロンドンでのホメオパシー・カンファレンスの発表者として世界中を飛び回っています。彼女はまた、1998年には「水の記憶」事件で有名なフランス人科学者、ジャック・ベンベニス博士を日本のロイヤル・アカデミー・オブ・ホメオパシー(RAH)に招待さえもしました!由井博士は「ベンベニストこそ、ノーベル賞を受賞すべき人だった」と言っています。

彼女は、多様な慢性症状の為のオリジナルコンビネーションレメディーを多数開発しており、レメディー製造販売するホメオパシージャパン(株)を1998年に設立しました。この会社は、現在、彼女の後継者によって引き継がれています

やがて、彼女は、クライアントに対して健康な食事を推薦する事無く、ホメオパシーのレメディーを処方するのは十分でない事に気づきます。彼女は農家出身であり、クライアントを助ける為、農業生産法人日本豊受自然農株式会社を設立しました。多くの種類の野菜や果物を育て、GM(遺伝子組み換え)でない、自家採種の種もとっています。現在、彼女は二つの自然農場を持っており、そこの畑でできたオーガニックのハーブと野菜を使った様々なヘルスケア商品や化粧品も開発しています!

彼女のホメオパシーの知識から、自分で開発したコンビネーションレメディー、多数の土壌を豊かにするレメディーやアクティブ・プラントと呼ばれるハーブや野菜などの農作物を発酵された植物活性液を農場で使用しており、ホメオパシーは、オーガニックな農業へ大変効果的に追加で使えるものである事が確認されており、その結果は、化学肥料や農薬が一切使われていない彼女の商品の品質が一級品である事が物語っています。

また、ホメオパシーの学校、CHhom東京(用賀)校の1Fでは、豊受オーガニックレストランが、11月にオープンする予定です。

由井博士は言います「食は私たちの身体に命を与える大切なもの。また、食料不足から戦争も起きるのです。ですから自給自足ができるように、一人ひとりが農業を実践しなければいけないと思います。もちろん環境を汚さない、安全な自然農です。」

2011年3月、東北の人々は大変な災害に見舞われ、福島は深刻なダメージを受けました。由井博士とJPHMAチームは、直ぐに、多数のホメオパシーレメディー、マザーティンクチャー、おにぎり、野菜ジュース、野菜、水を持って、被災地を訪問しました。被災地では、レメディーより何より安全な野菜と水をほしがっていたのをつぶさに見て、由井博士はそれ以降、安全な食を提供するためにより一層農業に力を入れたそうです。

震災直後、不安、恐怖をとるために、コンビネーションレメディーAAA(Aconite、Arsenicum,  Arnica)、放射能汚染に苦しむ人々には、RA(Cadmium Sulph、Sol、Plutonium、Kali iodatum、Radium brom、Uranium nitricum、Caesium hydroxide、Thyrodinium、Parathyroid gland)が無料で配布され、身体も楽になっていきました。

多くの被災地からのSOSの電話を受けた由井博士は、すぐにポケットに入るくらいの携帯電話大の36種マイクロ災害キットを設計し、ホメオパシージャパン(株)でポピーシード(小さなサイズの砂糖玉)を使って作られ、広く配給されました。

由井博士のすごいところは、何か問題があれば、すぐに対策を考え、どうすれば人々が危険からはずれ、幸せに生きられるかを実行する行動力とアイデアです。

由井博士は、後に、福島原発から2km離れた福島の土と埃から作られたレメディーを加えた特別なコンビネーションレメディーを作りました。これは、RA+F+X-Rayと呼ばれ、福島の土、Plutonium、Cobalt、Uranium Nit、X-Rayなどが含まれています。このコンビネーションは、深刻な放射能中毒や放射線熱傷の症状に立ち向かうのに非常に効果的である事が原発で働く人に使ってもらった結果確認されました。

彼女は日本にホメオパシーの学校を作り、患者のためにホメオパシーセンターを立ち上げ、ホメオパスのための職業保険をもつJPHMAつくり、そして、一般ユーザーでホメオパシーを愛する方々のホメオパシー・とらのこ会を作り、レメディーの製造ができる会社を立ち上げ、ホメオパシーの出版社を立ち上げました!

しかし、すべてが順風満帆ではありませんでした。2010年7月に朝日新聞により、ホメオパシーをやり、現代医学をおろそかにしたため、患者は死んだと捏造され、ホメオパシーバッシングが6ヶ月以上にわたって起こり、JPHMAと由井博士はバッシングの槍玉に上がり、一気に学生が減り、センターに来る患者も減って行きました。

売り上げは1/3に減り、100名近くいたともに働く仲間に給料を払うことが難しくなっていた。その時、由井博士と会社の重役全員で給与を大幅に減らし、社員にあてがうことなどにより社員はやめずにいられ、よりいっそう皆で力を合わせ日本にホメオパシーを残すために、この危機を乗り切ったそうです。

将来の計画は? 

今、由井博士は豊受自然農のある富士山の見える高台にホメオパシー病院を作り、ホメオパシーエコビジレッジ案を推進しています。ここでは老人ホームも作る予定で、老人になっても農業を手伝い、自然農の野菜を食べ、不要な医療を極力しない、なるべくホメオパシーで治療する幸せホームを作る予定です。

そこには生活向上のための学校も作り、ホメオパシーだけでなく、農業、畜産、種の保存、喜びを持って生きるための哲学、料理、信仰心を培うために、多くを学べる学校を作るそうです。ここでは、一人ひとりが自給自足、自存自衛を試みて、自分らしく生きるための学校と実習ができるところとなるでしょう。

なぜ、貴女は、ここまでやれたのかと聞くと「私は病気で死にかけていました。ホメオパシーで救われ、そして、ハーネマンに誓ったのです。必ず、ホメオパシーに恩返しをすると、そして、私を支えてくれるスタッフとホメオパシーを愛してやまない人々がいることで、どんなことがあってもくじけずここまでやることができました。」

このインタビューの為に書かれた由井博士が達成した約6ページに及ぶリストは、全く物凄いものです!この様に短い期間でここまでの仕事をした人物は誰も思い浮かびません。ホメオパシーに対して何が成し遂げられるか、私達が決心して集中した時に何ができるかについて、彼女は、私達皆に、本当の感動と素晴らしい模範を与えてくれています。

ホメオパシーの恩恵がすべてに降り注がんことを!万物生命、その存在自体に感謝し、命そのものを生きられんことを。 By 由井 寅子